胡散臭いが、思考は天下一品である。

落合信彦という作家を知っているだろうか?

 

私は不勉強だったため、つい最近まで落合信彦を知らなかった。

 

落合信彦を知る経緯を簡単に説明すると、子供が出来て、病院の待合室でたまたまヒカルの碁を読み、碁にハマり、ネットで碁を調べている中で、堀義人のブログに辿り着き、堀義人からグロービス、そしてそこからテクノベートに関する動画をユーチューブで視聴し、落合陽一を知った。落合陽一の講演や本を読み漁る中で、彼が父親落合信彦の話をしたことがきっかけとなり、ようやくつい最近、知ることになった。

 

上記の通り、落合信彦を知った後、すぐにKindle

  「そして、アメリカは消える」

を購入。文章力が高いことと、断定的な物言いから非常に強い魅力を感じ、のめり込んでいった。のめり込む、とは、具体的にいうとネットで調べ始めた――のである。

 

するとどうだろう?

落合信彦は捏造のジャーナリストとして、かなり酷い言われようを知ることとなった。ネットで落合信彦と検索すれば、息子の擁護と一緒に、落合信彦の書いてきたものの整合性を検証するサイトが検索できるっだろう。ショーンKと同様に経歴を詐称しているとまで書かれている(は捏造についての書籍まで出版されており、ショーンK以上にボロカスだ)。

 

落合信彦は、捏造しているという批判に対して沈黙を守っているらしく、2017年現時点においても、「何が本当なのか」誰もわからない状況だ。落合本人、落合の息子、弾劾した批判家がそれぞれ言いたいことを言いっぱなしで、第三者が確証を持てる証拠を提示せずに、テキストだけで語っている(息子も、擁護するなら預金通帳くらいバーンと見せればいいのだ←)。

この、真実がまったく見えない状況さえも、「作り出された物語」として一般人は楽しめるところがまた面白いところである。

落合信彦の微妙に胡散臭さの残るテキスト。その胡散臭さ故に、批判家の言葉を信じてしまいそうになる一般読者。この宙ぶらりんのなかで、真実があるとすれば、読者の思考だけだろう。

 

そうなのである。結局、読者たる自分が、落合信彦の言葉を理解しようとするか? または、そこから何変えようとするかが大切であり、捏造されたかどうかなど、関係ない、とするのが適切なのである。

 

ここで結論を記すと、落合信彦の胡散臭さはどうしても拭いきれない。断定的なものいいと、書き出されたテクストから、その臭いは消えないあろう。

しかし、それを取り除いても、テクストの中に込められているエッセンスは、非常に鋭く、的を射ていることが殆どで、ビジネスにおいても、人生においても、成功するための秘訣が語られていると言って間違いないだろう。

彼がオイルマンかどうかや、ベトナム戦争に参加した友人がいるとか、CIAに知り合いがいるとかは、実際のところどうでもいい。本質はそこにはないのだ。そう言う内容は、ニュースでも新聞でも、情報サイトでも、平たく言えばちょっと世間を知っていれば、書ける内容だ。落合信彦が、それを知っていたから、売れた、と言うのは話が違う。落合信彦の魅力は、情報源との繋がりではない。抽象化した思考の洗練したエッセンスこそが、魅力なのである。

情報ではなく、エッセンスを読むこと。情報に惑わされて、胡散臭い男と切り捨てるにはもったいない人物だ。