視覚能力|視力の影響|雑記

文字の識別能力に書ける。

ものの色と形、動きなどのシルエットに変換できる視覚情報は、割りと処理しやすいのだが、文字を認識することについては、私はかなり劣っているように感じる。

 

人と道を歩いていても、看板などに書かれた文字情報を認識するまで、人よりも遅い。その理由を考えてみたが、どうも知能の差だけではなく、視力の差も影響しているように感じる(主観的な話である)。

 

視力が悪いにも関わらず、普段から読書用の眼鏡を利用しているため(自業自得と言われればそれでおしまいだがw)、ある一定の距離を離れると視界がボヤケてしまう。一応焦点を合わすことは可能なのだが、遠くの物体に焦点を当てようとすると、乱視も重なって、どうもゆらゆらと焦点が動くような錯覚を覚える。

焦点位置が前後するような感覚で、船酔いや車酔いしているような、気持ち悪さを若干感じる。

 

視力が強い人は、遠いところの物体に焦点を合わせやすく、焦点距離の揺れも起こらないため、その物体を素早く認識できる。

回りくどく書いているが、つまりは目がいいと遠くのものが見えて、目が悪いと遠くのものが見えにくいことと同じである。眼鏡をしているため、遠くのものが見えているように錯覚しているが、乱視が入っているがゆえに、資格からの情報処理が遅くなってしまっている。

 

目、歯など、取替が聞かないものについては、大切にしないといけない。目が悪くなるということは、遺伝的な要因も大きいと思うが、後天的なテレビの見すぎ、暗いところで本読を見すぎなどの悪習が影響している。

認知能力が悪くなるということがどれほどハンディキャップか(人によってそれはマチマチではあるが…)、悪くならないとわからないということは、結構な皮肉だ。読書や勉強の集中にも悪影響をおよぼすことを考えると(つまり焦点があいにくいということは、勉強の集中の他に能が知覚情報を処理しているということであり、無駄なリソースを使っていると言って良い)、目を悪くしないようにすることが、どれほどメリットになるかは計り知れない…。

 

↑大げさだ(笑)。

しかし、今日一日目の奥からじわじわと痛み?が生じ、頭痛がひどかったことを考えると、目を大事にしなければと脈絡なく思ってしまうのであるorz

(「うーん、目が痛い!」)