節約すると楽しい生活が送れない?|そんなことないですよ。

そうですね。そんなことないと思います。

 

貯蓄のために、節約生活をする――切り詰めた生活をすると、楽しい生活が送れないと思われるかもしれませんが、正直なところ、そんなことはないと思います。

 

単純に、貯蓄が楽しいから、などとはいいません。節約を節約と思わない方法があるから、別に楽しくない訳はないといえるのです。

 

さて、節約する前に、レコードダイエットのように、毎日の家計簿をつけてみましょう。3ヶ月ほど家計簿を取って、自分が何にお金を使っているかを洗い出します。

その後、消費しているお金と、それに対するリターンを比較して、お金をかけすぎているところ、お金をかけなさすぎているところを確認します。確認できたら、適切にお金を使ってリターンを得るようにリバランスします。

 

例えば、お金を食事に投資するのは、健康というリターンを得ることです。空腹を満たすということは、身体へのエネルギー補給という点において、「健康になる」ことが、リターンだとシンプルに言い換えることができるでしょう。

ただ、食事には、人とのコミュニケーションや、リラクゼーションなどの効果もありますので(余暇としての食事や飲み会など)それぞれ、掛けたお金に対するリターンが適切かを検討する必要があります。

 

最初にあげた食事と健康について、簡単に説明してみましょう。毎日食パンを食べて生活するとします。すると栄養が足らずに健康を損なうことになるでしょう。これでは、毎日食パンだけの費用(100円程度)で節約できたとしても、意味がありません。健康でいい日常生活を送ることは出来ないです。健康的な生活をおくるためには、最低限摂取しなければいけない栄養素があります。それは、最低限のバランスの良い食事を取ることで得ることができるでしょう。

 

つまり、食事における適切なお金の消費(投資)と、健康(リターン)のバランスを取ることが大事ということ。シンプルですし、当たり前の話ですね。

節約しようとして健康を残っていては元も子もありません(笑)。

健康を損なわない費用はどのラインかを記録した家計簿を見て、予算を組んでいきましょう。同じように、書籍代についてや、電気代についても、自分の希望するリターンと、かけている費用を比較して、適切かどうかを分析します。

 

上記の比較と分析を繰り返し、想定貯蓄額を割り出したあとは、貯蓄額が納得行く金額化を判断します。納得行けば、そのまま。納得いかなければ、さらに節約と貯蓄のバランスを取ります。つまり、お金を削って、貯蓄額が増えると言うリターンを考えた時、節約できるところはどこかを分析するのです。

 

 

そうして、くどくどと(笑)調整してきた節約生活に、さて、苦しいことがあるでしょうか。すべて自分で納得して予算を組んでいるわけです。健康を損なうようなことをすることもなく、楽しみも残して節約をしている。

こういう節約生活なら、楽しい生活が送れるだろう。

シンゴジ|合わなかったな~…orz

正直な感想です。

シン・ゴジラは、合わなかったです。話の内容や、石原さとみの英語力がなどという部分はどうでも良いのです。もっと根源的に、表示される画面との相性が悪いのです。

 

ドキュメンタリー調でありながら、作為的なレイアウト、カメラワーク、カット割り…。設定や早口、登場人物の演技などは気にならないのですが、カメラワークと言うただ一点において、どうしても納得がいかないのです。

 

エヴァ的な(というよりもウルトラマン実相寺監督のレイアウト)画面が特に見ていて不快感さえ覚えました。既視感があるからこそ、余計に嫌だったのかもしれませんね。あれ、このレイアウト、エヴァじゃん、という風に、映画を見ていても冷めてしまう。何だこの監督、成長してねーな、という風に穿った見方をしてしまうのです。ひねくれてますね(笑)。

 

ゴジラの破壊シーンは良いと思いました。CGがしょっぱいと言うところは気にならないたちなので、とにかく画面レイアウトだけが気に入らない。

 

生理的なものなので、どうしようもないですね。楽しんで見れる人は羨ましいと思います。八塩折作戦のオペっぽい感じとか、バカバカしさがあって非常に面白いんですが、画面がねぇ…。

映画は、切り取り方次第でつまんなくなるという典型ですね。せっかく題材や、脚本が面白がらせる内容になっているのに、それを見るに耐えない「画面」にしてしまっている。

 

いやいや、自分が合わないだけで、この画面を気に入る人がいたからこそ、ヒットしたのです! まぁ、バカバカしいことを真面目にやっていると言う演出については非常に好感が持てますので、多分画面を見ずに、音声だけ聞くとかすれば、私も楽しめるのかもしれませんね。

 

シン・ゴジラでよかったところをあげると、

・モニタ越しに俳優の顔を写している描写

ゴジラの破壊シーンくらいだろうか

うーん、偏った(ひねくれた)見方をしているなぁ。

共同体への復帰|子供がいるということ

「モンスターマザー」と言う本を読んでいると、共同体への参加がリスキーに感じる。モンスターマザーの母親のような人物はそれほど多くはないのかもしれないが、精神疾患を抱えている人物と接するという点では、かなりの確率で接点があるだろう。

 

社会に出ると、よほどのことがない限りは、重度の精神疾患(他害的と言う意味)に接することはない。会社はそういう人間を取捨選択しているし、駅でおかしなことを言っている人がいた場合も、基本的には避けて通る。

モンスターマザーのような重度の妄想癖、虚言癖、精神疾患を患っている人と接することは殆ど無いし、仮に接したとしても逃げることは可能だ。(引っ越しをするとか、会社を転職するとか)

 

しかし、子供がいると否が応でも共同体への復帰が必要になる。すると、保育園に小学校、中学校、高校と、選別されていない人間と接触する機会がどうしても増えてくる。言葉は悪いが、非常にリスキーだ。小学校などは、俗に言うDQN親などと一緒になる確率が高く、もし子供がDQN親の子供と仲がよかったら……正直ゾッとしてしまう(笑)。

 

大人になれば、自分が所属する共同体を選ぶことができる。それによって、事件や騒動へのリスクを減らすことが可能だ。しかし、子供を産むという行為によって、事件や騒動に巻き込まれるリスクが増加する。上記のようなモンスターペアレントと接するだけではなく、子供が悪さをしたり、犯罪を犯したりすることで、問題が生じるのである。自分だけの判断で行動できるのであれば、問題発生のリスクは非常に少なくすることができるが、子供を作るということは、少なくなったリスクをまた大きくするということと同義なのだ。

 

もちろん子供を作ることのメリット(生まれてから6年間はかわいいとか)はあるため、悲観することではない。

共同体への参加と言う意味では、0~18歳くらいの子供がキーとなり、サイクルが回るということなのだ。子供がいなければ、共同体への復帰はない。自分の意志によって、参加しようとしない限りは、地域との繋がりがなくても生きていけるのである。

これもまた不思議な話だ。

(しかし、このモンスターマザーは、ヤバイな…。シャレにならない)

精神疾患は軽度のうちに病院へ

「モンスターマザー―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い―」を23%まで読んだ。

他に、「子供の死を祈る親たち」「「子供を殺してください」という親たち」、「小倉昌男 祈りと経営: ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの」を読んできて、率直に感じたことは「軽度の精神疾患を患った段階で、四の五の言わずに精神科医にかかって、薬を服用しろ」である……。

 

それで苦しんでいる人には申し訳ない言い方だ。しかし、悪化してしまったら、とんでもない事件や騒動に発展しているのである。放置はリスキーだ。とにかく、軽度だったとしても発症したなら、症状を抑えるために、精神科医に相談しに行ったほうが良い。

 

クロネコヤマトの創業者も、自分の娘の精神疾患に苦しんでいた(娘はアメリカで、症状に合う薬を処方されて落ち着くことが出来た)。貧乏人も、金持ちも、精神病にかかったら、皆平等に苦しむのである。その苦しみをできるだけ和らげるためには、医師の協力を仰ぐしかない。本人の努力や、家族の努力だけでは、絶対に同しようもないのである。いや、正確には家族の協力・努力は必要なのだが、的確に行動するためには医療機関の協力がなければ、的外れになったり、間違った努力をしてしまう。

 

精神疾患は、完全に治る病気ではない。少しだけ症状を抑えてなんとか日常生活を営むしか、道はない。それ故に軽度の状態で、それ以上悪化しないよう手を打つことは非常に大切なのである。

 

悪化して、自害他害するようになってしまっては、もう遅いのである。とにかく、精神疾患は軽度のうちに病院に行ったほうが良い。

あれは仕事やる気なくすわ~|チームワークを損なう気性

人のミスに対して、愚痴と嘲笑を大声で言うのは、あまり感心しない。特にチームで仕事をしている場合、チームメンバーの前でそういうことを行うと、チームの空気が悪くなる。なんだかアタリマエのことを書いているが、いまだに、愚かなことをしている人がいるのである。うむ、実に愚かだ。

 

しかも、チームメンバーの中だけで完結することならまだしも、愚痴や嘲笑を部署の全員に聞こえるように大声で言うのは、パワハラ(対等な関係のため、正確にはパワハラではないが)のようなものだ。嘲笑された人間は、部門にもなんだか居づらいのではないだろうか(疑問を投げかけるまでもなく、居づらいに決まっている(笑))

 

本人のやる気だけの問題ではなく、チームの生産性の面でも、仕事への品質についても悪影響がある。仕事に対して、保守的になり、自分が与えられた以上の成果を出そうというモチベーションがなくなり、必要以上の働きはしない上に、チーム間のコミュニケーションもなくなるだろう。

必要以上の働きをしない=ブラックな職場と捉えられるかもしれないが、ちょっと待って考えてもらいたい。仕事をすれば利益を得られる。間接部門だとしても、主力部門をサポートして、主力部門が成果をさらに上げれば、会社として非常に高い利益を得られるだろう。例えば、間接部門の頑張りによって、社内のコストが削減され経常利益が増加する、などである。

 

そうすると、給与には反映されなくても、賞与に反映される(事が多い)。ブラック企業であれば、従業員にあまり還元はされないかもしれない。しかし、普通の企業であれば、業績によって賞与が増額されるのである。

 

必要以上の仕事を要求することがブラック企業であるか、それとも、自分の働きが利益につながり、自分の賞与に繋がると考えるかは、捉え方次第だ。また、本当のブラック企業の仕事は、利益と従業員の仕事が切り分けられており、従業員が売上を意識することはない。

 

チームでしっかりと儲けるから、チームの評価が上がり、給与や賞与に良い影響をもたらすのである。(内部留保になるケースもあるが…)

それ故に、チームの和を乱すような問題ある行動は、慎まなければならない。たとえ、ミスした本人が悪かったとしても人格を否定することはあってはならないのだ。どんな人間だって、自尊心がある。その自尊心を否定・批判されることは、チームの生産性を確実に失わせ、品質を低下させることだろう。人間同士の協力関係が失われるのだ。

 

ズケズケ言う気性だから許されるか。

いや、そんなことはない。酒を飲んだ時暴れるのは、酒のせいで自分が悪くないというようなものだ。「気性」だと自分で言い訳を作って、相手を傷つけている。相手の負い目に乗じて、反撃されないことを良いことに、心に怪我を負わせているのだ。

 

リーダはチーム内での揉め事や、間違った行動をしっかりと正さなければならない。たとえ、優秀な人材だったとしても、チームの和を乱すなら、辞めてもらう必要がある。なぜなら、その優秀な人材だけで仕事を回しているわけではないのだ。一人いれば十分な仕事は、そもそもチーム論とは別軸の話だ。チームとして力を発揮しなければいけないのであれば、やはり、チームを強化するために、行動を起こさなければならない。

 

繰り返すが、仕事でミスった人間に対して、愚痴や嫌味を人前で言ってはいけない

最高のインフルエンサー|両津勘吉

こち亀を読み返してみると改めて、両津勘吉は最高のインフルエンサーだったことを確信する。彼がジャンプ紙面から消えてしまったことは、ドラえもんクレヨンしんちゃんアンパンマンなどが消えてしまうことと同じことかもしれない。小学生の好奇心をそそるのに、こち亀ほど適した漫画はないだろう。

 

小学生の頃、こち亀を読んで電子手帳やパソコンが欲しくなった人は少なくない。またおもちゃやラジコン、盆栽、競馬、サーフィン、古美術、書道、フィギュアなどなど、こち亀で取り上げられた情報から、更に詳しく知りたいと思い、深く調べた人も少なくないだろう。もしかしたら、こち亀の影響で鉄オタになった人がいるかもしれない。

 

後半は妄想ではあるが、上記のように、こち亀両津勘吉に影響された人は多いだろう。

 

現代で言う、(小学生や男子・男性に対しての)インフルエンサーの役割を両津勘吉がになっていたのである。いや、言い換えると、こち亀と言うものは、一種のキュレーションサイト(漫画)だったのかもしれない。これを見れば、最新の商品について情報を得ることができるし、時代の流れを感じることができる。


特に、80年~90年台の田舎で育った子供にとっては、こち亀が取り上げる情報は、垂涎モノだったのではないだろうか。インターネットもなく、本屋が近くにあるわけでもない。テレビやラジオからしか情報を得ることは出来ないが、テレビから放送されるものは、所詮広告であって、全体を網羅することは出来ないし、最新の商品の紹介がなされることもない。こち亀をウォッチすることが、トレンドを追うことに非常に役に立った時代だったのだ(断言するにはエビデンスが薄い)。

 

今の子供達はスマホで、キュレーションメディアに簡単にアクセスできる。その為、両津勘吉の存在価値が徐々に薄れていったのは否めない。しかし、キュレーションメディアには考えつきもしない発想で、その商品を利用し金儲けをする姿は、こち亀「|両津勘吉独自のものである。この価値は非常に高い。あらゆる商品を「金儲けにつなげる」発想は、卓越している。

 

子供を育てていて思うのは、子供が両津勘吉とリアルタイムで出会えない寂しさである。ハーレム系の漫画やラノベを否定するわけではないが、現在の漫画やラノベにはないものを両津勘吉は持っていたのではないだろうか。


泥臭く貪欲に、発想したネタを「金儲けに繋げる」執念は、子供に学んで欲しいポイントでもある。

ディープラーニングで育てる理想の彼女

ラブプラスと言うゲームが、スマホで再登場するらしい。PS4ではサマーレッスンというちょっと不健全ぽいゲームが流行ったらしい。

 

これらを見ていて思ったのだが、仮想空間の女の子を、ゲームプレイによってディープラーニングし、自分だけの彼女をつくゲームがあったら、結構面白いのではないだろうか。

例えば、下図のようにスマホのカメラで周囲を撮影する。

「ラブプラス 写真 熱海」の画像検索結果

http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/1007/12/news084_2.html)引用

 

画像解析で、何が撮影されているかを解読し、彼女が「今日は晴れてるね」とか「海が見えるね、どこだろう?」みたいなことを話してくる。それに受け答えしていくことで、人工知能が育っていく。そして、1週間後に同じ場所で撮影すると「またここに着たの?好きだね」とか「もっと違うところ遊びに行きたいよ」とか話してくるわけだ。

これに対して「うるさい、黙って着いてこい」とか「ごめんね、次はどこに行きたい」と言うように返答すると、人工知能が学習し、あまり文句の言わない彼女になったり、週末のたびにどんどん旅先を提案するような彼女になったりする。

 

また例えば、GPSの行動履歴を分析し、彼氏の好みを理解して、行きたいところを提案してくれるとか。顔認識で、しっかり彼氏だけを認識してくれるとか。人工知能が学習し続ければ、ツーカーの仲になることだって可能である。うむ、夢のようなゲームではないだろうか(笑)。(彼女じゃなくても、秘書でも良い)。

 

 

ディープラーニングの流行りに乗っかって、ラブプラスの新作が高度な人工知能を搭載してくることを切に願おう(多分やらないのだが…w)。