ボランティア|政治参加のメリット

前回、ここ最近の衆議院選挙についての不満を少し書いたが、もう一つ気になることがあります。

それは、政治家の選挙活動のボランティアです。

 

なぜ、「ボランティアをして」政治家を応援し当選させたいのでしょう。当選させるメリットは、何なのでしょうか。何をトンチンカンなことを書いているのか、と思うでしょう。当選させるメリットは、「その政党の公約・政策を実行させたい」ことにあります。議席数が増えれば、政策を通しやすくなることから、みんな選挙にやっきになるわけです。

それ故、ボランティア行為=応援活動によって政治家の認知度を上げ、当選確率を高めようというわけです。しかし、政策について応援したいのであれば、投票すれば良いのではないでしょうか。本当に良いと思われる政策を打ち出しているなら、わざわざ応援活動に参加しなくても、自然と票が集まるはずです。中途半端な政策を打ち出すから、票が入らない=無駄な応援活動をしなければいけなくなるのではないでしょうか。

 

いい例があります。

希望の党

先月末に鮮烈デビューし、内容のない政策を発表したため、一気に支持率が落ちてしまいました。これ、まともな政策を発表していたら、違った曲面になっていたかもしれません。だめになってしまったのは、ひとえに、政策に中身が無いため。有権者はバカではありませんから、小池氏の知名度とプロデュース能力だけでは、指示しないのです(もちろん明日の投票結果を見ないと実際のところはわかりませんが…)。

 

ボランティアで応援活動しなければいけない――程度の低い政治家は当選すべきではない。民意はすべて投票によって決まるわけですから、無駄なあがきをせずに、まともな公約・政策を出すべきだと思います。

 

 

もう一つボランティア活動で疑問がありました。

衆議院議員になれば、年収2000万ほどもらえるわけですが、なぜ、他人の給料のためにボランティアを行うのでしょうか。ちょっとわかりにくいでしょうか。応援している政治家は、当選すれば2000万の年収を得ることになります。大金持ちの麻生氏などではない限り、感覚として、結構なお金が手元に来るわけです。

なんだか、政策云々を語る以前に、人の就職の世話をしているようにも見えてきて、非常に違和感を覚えます。政治家としてまともな人間であれば、多分気にならなかったのでしょう。無能な政治家を当選させたいために、必死になっているボランティアを見て、どうしてそこまで頑張るのか疑問に思ってしまったことが、この違和感の原因です。

無能な政治家を当選させても、ボランティアをしている人には一円のメリットもありません。野党として、与党の政治をしっかり監視する力もなく、ただただ野次を飛ばすだけ。そういう人間を当選させて、一体何になるのでしょうか。そういう人間を応援して、何になるのでしょうか。時間と労力をかけてまで、応援しなければいけない人間なのでしょうか。

 

人によって認識の違いがあることは否定できません。

無能だと思う政治家も、ある層から見れば有能なのかもしれません。それゆえ、完全に否定することは出来ないのですが、疑問として、どうしても解せないのです。無能な政治家が高額給与を(税金から)得られるよう、当選(就職)の手伝いをすることが…。手伝いをする人間がいることが…。

(そもそもボランティアではなく、政治家から、アルバイト料を貰っているのだろうか)

 

(はたまた、選挙の応援活動も、ひとつのイベント――秋祭りの一環として楽しむために、参加しているのでしょうか…)

 

……1円にもならない選挙関連の(政治家を応援するという)ボランティア活動にたいして、非常に疑問を持ってしまうわけです。