音楽に政治を持ち込むこと

(1)「音楽」に政治を持ち込むことは、別にかまわないと思います。

(2)「音楽活動」を政治に利用することは、政治をしていることなので、ちょっと違うのではないかと思います。

 

フジロックで政治を持ち込んだことを批判されたことがありましたが、あれが批判された理由は、音楽を利用した政治活動をしたからではないでしょうか。音楽を楽しみにやって来た人に対して、政治的なことを発信し、思想を誘導しようとした。実際には誘導できていませんが、音楽を楽しみにしているのに、「安倍政権はウンヌンカンヌン」などと言われたら、ちょっと批判したくなりますよね。お客さんの欲しいものと、音楽家が提供するものが不一致しているのですから、お客さんの一部からは批判され、それを知った人からも批判をされる。

 

では、ちょっと1と2を混ぜた事例を考えてみましょう。

該当演説を音楽に乗せて、歌にしたら、それは……音楽活動でしょうか? それとも政治活動でしょうか?

これはちょっと悩むところです。なぜなら「活動」でグルーピングをすると、政治活動になります。しかし、「音楽」に政治を持ち込むこと=政治を題材にすることは、政治活動ではなく「音楽」の創作になるからです。

 

わかり易い例を出してみましょう。爆笑問題の漫才で時事ネタや政治ネタを取り扱っています。しかし、彼らが、政治ネタで漫才をしても、「政治」を持ち込んだ「政治活動」と批判されることは一切ないでしょう。爆笑問題は「政治」をネタに「漫才」をしているだけなのです。

 

では、音楽に話を戻してみましょう。

(1)の「音楽」に政治を持ち込むことは、「政治」ネタで「音楽」を作ることです。仮に安倍批判を歌でしても、それはかまわないのです。SEALsが、デモで安倍批判の歌を歌ったそうですが、別にそれはかまわないのです。なぜなら、「歌(音楽)」そのものは、「政治」と切り離されているからなのです。

ちょっと図解しないとわかりにくいですね(笑)

 

 

要約する「音楽に政治を持ち込むことが批判されるのではなく、プロパガンダ(政治活動)をコンサートなど(音楽活動)にもってくることが批判される」のです。

歌詞でどれだけ政治を語ろうが、ぜーんぜん問題ありません。政治もタダのネタでしかありませんからね。

 

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ではここからは、商業的な視点から考察してみましょう。音楽に「政治」を持ち込むことが嫌われ、「恋愛」が好まれるのはなぜか。ちなみに、お経は音楽に「宗教」を持ち込んでますね(余談)。

 

この理由は単純明快です。

「恋愛」が売れるからです。

「政治」をネタにした歌が売れると思いますか? よっぽど音楽性が高く、キャッチーさがあり、広告をしっかりしないと、売れません。音楽業界に勢いがあれば、広告宣伝費を大量に透過して、「政治色の強い音楽」をヒットさせることができたかもしれませんが、現在の音楽業界でそれは難しいです(商業的成功を目指さなくても良い趣味・アマチュアなら問題ありませんが…)。

 

過去に(?)マリリン・マンソンなどが宗教色の強い歌を出して世界的にヒットを出しましたが、これは音楽性が高いから売れたのです。「政治」をモチーフにして「音楽」を創作し、批判をねじ伏せるだけの音楽性があれば、「政治」を「音楽」に持ち込んでも誰も文句は言わないでしょう。商業的に嫌われる理由は、売れないから、ただそれだけだと思います。