AIの登場で英語学習は必要なくなる|ノストラダムスの大予言

AIの登場で自動翻訳技術が発展し、英語学習(外国語学習)が必要なくなると言われてます。現在でもグーグル翻訳に日本語をコピペすれば、簡単に英語に変換できますし、その逆も容易にできます。英語学習が必要なくなるかも、と思うようになるのは、必然かもしれません。

 

しかし、翻訳機が登場して英語学習が不要になるという論争は、あまりにも極端な話です。自動車や自転車、セグウェイが登場した後、人は歩くことをやめましたでしょうか。どれだけ便利な機会が登場しても、世界が極端に変化することはないのです。最先端を行く人であれば、(よく言われる)シンギュラリティでガラッと世界が変化することを体感するでしょう。しかし、普通の人は、それほど大きなインパクトを受けずに自然に変化を許容し、または受けがなしながら生活をしていくでしょう。

 

英語学習が自動翻訳によって解放されるかという議論にについても同じことです。

つまり、AIが自動翻訳しようが、しまいが勉強する人はしますし、したくない人はしません。今だって「英語を勉強したい人はしています」し、「したくない人はしていません」ね。したくない人は、そもそも英語を利用する環境にいませんから、自動翻訳が登場しようが、しまいが、関係ありません…。

 

ちょっと踏み込んで考えてみます。

例えば、ビジネスで英語が必要な人のうち、英語学習が不得意な人にとっては朗報かもしれません。しかし、英語学習程度のことで、現時点でビジネスチャンスのがしているのであれば、自動翻訳によって英語圏でビジネスを始めても、大した成功はできないでしょう。孫正義など、ビジネスを成功させている経営者は、自助努力によって、英語を使えるようになっています(ある意味、このモチベーションこそが成功への鍵です)。もっと言えば、英語を使えなくても通訳を頼めば、今でも英語圏でビジネス・旅行することは苦になりません。自動翻訳にお金を使うのと、通訳にお金を使うことは、どちらもお金を払っているという点において、差はありません。

 

英語学習に話を戻すと、言語能力の獲得は、思考活動に非常に良いトレーニングになります。言語を正しく使えるということは、相手に対して、自分の意見を正しく伝える技術を持っているということです。これは自動翻訳技術が発展しても、獲得できるものではありません。

コンピュータが現れたからと言って、数学を勉強しなくても良い、という事にならないのと同じで、脳を鍛えるためには、学習が必要になってきます。

 

このAIの登場で英語学習が必要なくなる、と言う主張は、ノストラダムスの大予言を待つ人と同じです。いずれは海外旅行・ビジネスにおいて自動翻訳が使われるでしょう。これは否定できない未来だと思います。しかし、だからといって勉強をしなくても良いというのは、「地球が崩壊するから、自堕落に過ごして良い」とノストラダムスの大予言にすがっていることと同じではないでしょうか。

英語学習をすることによって、自分の意見を言葉で組み立てるトレーニングをし、自動翻訳を有効活用することが、大切なのではないでしょうか(ゆえに英語学習が必要なくなるは、ノストラダムスの大予言を待つことに等しい、ということです)。

 

それ以前に、読めなかった言語が読めるようになる「感動」は、なくならないです。自動翻訳が出てきても、人は外国語(未知の言語)を学習するでしょう。