子育ては、大人にならないと楽しめない娯楽

子育てを「娯楽」と言い表すと、反感を持つ人もいるだろう。しかし、子育ては、責任を果たせられるようになった大人にとっては、非常に面白い娯楽だと、育児をしていて感じた。

 

命を扱っているため、不用意な表現は出来ないことは承知の上である。出産や子育てを普通にするならまだしも、避妊もさせず望まれずに生まれてきた子供や、子ども手当がほしいために生まれてきた子供など、子供を出産し育てることは「遊び」ではない。しかし、「遊び」ではないが、育児をしていると「案外楽しい」部分が多々あり、「遊び」にも似た感覚が芽生える瞬間があるのである。

 

命を持て「遊ぶ」ことは、してはいけないが、子育ての楽しさは「遊び」以上に「娯楽性が高い」のだ。例えるならギャンブルやテレビゲーム、ディズニーランドなどのエンターテイメントが複合した面白みがあるといえる。エンタメの複合体ゆえに、体力の消費が非常に激しいのだが、子育てはギャンブル性があり、毎日発見の連続で、テレビゲーム(ロールプレイングゲーム)で主人公のレベルをあげることのように――と言うよりそれ以上に、子供のレベルが日々上がっていくことが面白いのだ。いろんなものをみせてAIを教育するディープラーニングのように、子供に色々経験させて教育を促すと、毎日変化が起こるのである。こんなにスリリングで面白い遊びはないだろう(何度も言うが体力はものすごく削られるが…w)。

 

新しいおもちゃを買ってきて、どうやって使うかを何度もみせていると、子供は使い方を真似しておもちゃで遊び出す。真似をするかどうか、親と子供のせめぎあいが面白いし、仮に当日出来なくても寝て朝起きたら、なぜかできるようになっていることがある。この突然の変化は、驚きとともに感動を覚えるだろう。「アレ!?それいつの間にできるようになったの!?」みたいなイメージだ。

特に生後~数年は1日前、1週間前、1ヶ月前、1年前と比較して、その変化のスピードに感動すら覚えるだろう。

 

 

不幸な妊娠などがあり、軽々しく子育てを遊びだ、娯楽だなどとは言えない。ただ、これは責任を取ることができない人間が、避妊せずに行為に及ぶから問題なのではないだろうか。いや、責任を取るというよりも、子供ができた後、その子供をしっかりと育てようという覚悟だろうか。

 

子育ては、大人にならなければできない、非常に面白い娯楽である。子供では到底楽しめない。子供が子供を作ることはできるが、子育ての面白さは、大人にならなければわからないだろう(もちろん分かる人もいるとは思う)。

 

育休ウンヌンの話で盛り上がっているが、それはお互い様な麺もあるし、独身だから損をしているということもない。賃金や仕事の経験を積むという点において、独身はしっかり利益を得ているのだ(この話を広げるととっちらかるため、これ以上は書かないでおこうw)。

大人になって、興味が持てそうだったら、子供を作ってみることは結構良いと思う。なぜなら、子供を産める期間やチャンスはそう何度もあるわけではないのだ。人生で1回子育てを楽しんでみても悪くはないのではないだろうか。

なにせ大人にならないと楽しめない娯楽なのだからね。